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Guicho Zurdo:千年帝国の野望~「Hearts of Iron・Ⅱ」のリプレイ(その4) 

経過はコチラにて。

※同時進行の戦線が複数ありますので、時間軸が多少前後する場合があります。


Romanian Rhapsody~1940年6月27日-28日

6月27日、錯乱のルーマニアの対ソ宣戦布告を受け、ルーマニアからの石油に依存するぎ印ドイツ帝国は同国を護るべく、対ソ戦へと突入した。緒戦で勝利を収め、順調に駒を東方に進めんとするぎ印ドイツ帝国であるが、その先に拡がるソ連邦の広大な大地を前に、改めてこのなし崩しの対ソ戦が正しい選択だったのかどうか思い悩むGuicho Zurdoなのであった。これってどうなのだろう、黒猫ポンセよ。今さら遅いけど。

そもそもルーマニアはなぜ戦争を選択したのか。史実であれば、同国は駄目国王カロル2世の駄目統治のせいでソ連やらハンガリーやらブルガリアやらに領土削り取られてズタボロになり、駄目国王の下野をもってようやく失地回復を賭けての枢軸参加、という流れのはずだ。ソ連の要求に銃口をもって返答するほどの性根などあろうはずもないのだが。フィンランドが冬戦争を耐え抜いた事実が彼らの励みになってしまったのだろうか。…よもやわが国の参戦を見越しての打算的な布告ではあるまいな。
まあいい。いずれにせよカロル2世はスターリンと戦うことを選択し、ルーマニアの石油に依存するぎ印ドイツ帝国としては、戦車や戦闘機の駆動を護るべくソ連を叩くほかないのである。

ぎ独ソ開戦の翌日、この戦争の発端である問題児ルーマニアは、われらぎ印軍事同盟の参加を打診。うむ。喧嘩を売ったはいいが、さすがにピンでソ連と渡り合うは困難と解したか。その国策は無謀なのか慎重なのかよくわからんが、まあよろしい。入りたまえ。…ん?ちょっと待て。このGuicho Zurdo、何だかルーマニアに踊らされてるような気がしてならないのだが。
そんな私の疑念を振り払おうとでもするように、ルーマニアはぎ印同盟加入以降、やたら石油の提供を申し出るようになった。しかも無償で。おお、これはちょっとうれしいぞルーマニアよ。お前は己が立ち位置というものをよくわかっている。そうなのだ。ソ連を叩くのは結局われらぎ印ドイツ帝国なのだ。わが帝国の敗北はすなわちルーマニアの死を意味する。だからルーマニアは力の限りわが軍を支援しなければならない。石油を出し惜しみしたその瞬間から、お前の国に明日という日はないと思え。…つーかこれは石油やるからお前ら必死こいて戦えというカルロ2世のメッセージなのだろうか。
しかしながらこのルーマニア、石油の提供のみならず行動でもぎ印同盟国としての規範を示すのだった。ルーマニアは長らくハンガリーやブルガリアと国境係争を抱えており、戦争がはじまるまではずっと国境線沿いに軍を配置していたのだが、対ソ戦がはじまるや否や国境防衛を投げ打って全軍を対ソ戦に集中さすべく北上を開始したのである。うむ、いい心がけだ。その崇高なる精神は賛美してやまないものの、悲しいかなルーマニア軍、その力量ではソ連領への侵攻は困難。国境線の防戦で手一杯となろう。だがそれでよい。いずれわれらの南方軍勢が援軍に駆けつけようて、それまでどうにか持ち堪えるのじゃ。

そんな健気なルーマニアに比べるは糞ハンガリーである。お前らいつまでどうでもいい国境付近に軍勢集結させてやがんだコラ。さっさと東方へ進軍させい。しかし私の血圧上昇なんぞ馬耳東風のホルティ閣下である。同盟の旗印に背を向け、ひたすらあらぬ方角の防衛に余念がない。

ぬぅ、覚えておれ。


イタリア発:イタロ・バルボの謎めいた死~1940年6月29日

そんな奴は知らねえ。


東部戦線異状茄子~1940年6月30日~7月30日

対ソ戦開始から1ヶ月余、ぎ印ドイツ軍はじわじわとソ連領に踏み込み旧ポーランド領(東部)の先まで駒を進めていた。軍勢は3つ。北部方面軍はメーメル周辺からラトビアの下方沿いに旧リトアニアを蹂躙しながら進軍。さすがにソ連もわが帝国との戦争を抱えながらのラトビア潰しは愚行と判断したか。その分の戦力がこちらに向かうことになるが、まあいい。
中部方面軍の当座の目標地点はミンスクである。できれば夏の終わりまでにそれを成し、冬の訪れの前にスモレンスク到達を果たしたいところだ。同地の制圧はモスクワへの王手を意味するのである。
糞地獄は南部方面軍であった。同軍勢は東方キエフを目指しつつ、同時に南下するソ連軍からルーマニアを護るという困難な任を負っている。ソ連の主力はまずは脆弱なルーマニアを潰さんと、次から次へと軍勢を北東から送り込もうとするのである。こちらもそれを見越してお馴染み韋駄天ハインツや“ヒトラーの火消し屋”ことヴァルター・モーデル、「利口なハンス(kluge Hans)」やら「ハンス・ギュンターHans Gunther)」やらと呼ばれながらも名前には一切ハンスが付かないギュンター・フォン・クールゲ、アイケ親父という愛称とは裏腹に強制収容所管理の髑髏部隊のボスとしてのし上がった強面テオドール・アイケ等々、層々たる顔ぶれを揃えて対峙させる。しかしそれでも数に勝るソ連軍に対しては苦戦を強いられ、どうにか勝てども牛歩並みの進軍を余儀なくされた。われらの到達まで、ルーマニアは持ち堪えられるのだろうか…。

むう、こうなったらアフリカや中東はしばらく忘れよう。既にジブラルタル駐留の空挺部隊を先遣に、海峡の向こう側の自由フランスの植民地の強奪作戦を開始していたのである。空挺と海兵とメノルカ奪還に携わっているルントシュテット軍団は残さにゃなるまいが、他はメーメルに引き揚げさせるほかあるまい。ソ連軍は思った以上に手強い。つーか多い。これに抗するためには可能な限りの兵力を東部戦線に投入せねばならぬ。さもなくばこの戦争、勝てん。

かくして、南欧ののびのび戦線を謳歌していたぎ印軍団の多くが、過酷な遥かなる東部戦線へと送られる羽目になった。

ジブラルタルの港を出航する最後の輸送船団から、ひとりの兵が勇気を振り絞って叫んだ。

「失礼ながらGuicho Zurdo閣下は、前線で戦う兵の気持ちがわかっておられない!」

合掌。


ホルティの糞野郎~1940年8月1日

なんだかんだでぎ印軍団は着実にソ連領を侵食していた。しかし勝ってはいるものの、それと引き換えにじわじわと拡がりつつある戦線にも不安を感じていた。戦線の拡大はすなわち兵力の分散を意味する。大丈夫なのだろうか。それに加え、われわれは国境防衛に踏ん張るルーマニア軍の元にも駆けつけねばならないのだ。そういや忘れてた。しばらく動向確認してなかったが、奴ら無事なんだろうな。国境への戦力の投入具合からして敗走ってことはないだろうが、そろそろ限界だろう。堤防決壊前に到達せねば。間に合えばよいのだが。不安な面持ちでルーマニア方面をチェック。すると…。

うわあああ!ルーマニア強えええ!!ソ連軍押してるじゃねえか!!!

なんとルーマニア、防戦どころかソ連領に突入して攻勢を掛けており、先遣がまもなくオデッサに到達しようとする勢いなのである。おお、これは…。ルーマニア軍は私が思っていたほど弱軍ではなかったのだ。素晴らしい。実に素晴らしい。もしやルーマニアのソ連への宣戦布告というのはちゃんと勝算があってのことだったのだろうか。いずれにせよ、これなら安心して南方詰めは君たちに預けられる。ドニエプロペトロフスクの資源群はわれわれも狙っていたのだが、そこは君たちが取りたまえ。ドニプロ獲得は君たちの戦勲に見合った報奨になろう。
このルーマニアの強さはうれしい誤算だ。ハンガリーよりずっと優秀ではないか。奴らの駄目行動は駄目AIたる所以かと思ったのだが、そうではなかったのだ。ただハンガリーが駄目だったというだけの話なのである。畜生、こんなことなら最初からルーマニアと組むべきだった。ホルティの智力なんぞに期待した私が馬鹿だった。

で、そのハンガリー軍の姿がまるで見えないわけだが。奴らはどこに逝ったのだ。あれほど国境にうるさいハンガリー軍がそのライン一帯から忽然と姿を消しているのである。まさかルーマニア軍と共闘してるとか。そんなバナナ。奴らにそんな侠気はない。…やっぱりいねえ。ではどこだ。もちろん東部戦線など論外だ。いるわけがない。となると…。
私が探していた連中は首都ブタベストにいた。ハンガリーは陸戦の全軍を何の脅威もない首都に集結させていたのである。これには血圧瞬間沸騰である。

ぎ独:この大事な時期に何やってんだこの野郎!

洪:首都防衛ですが何か。

ぎ独:何から防衛するんだコラ!敵なんかいねえじゃねえか!!

洪:あんたイタリアと仲悪いでしょ。ウチは国境接してるんですよ。ああいうことされると迷惑なんですよね。

ぎ独:仲悪いんじゃなくて俺が一方的にイタリアを嫌ってるだけなんだよ!戦争なんか起きねえよ馬鹿!だいたいイタリアは今ギリシャとの戦争でいっぱいいっぱいなんだよ。ハンガリーなんか攻めやしねえよ。つーかその割にはお前イタリア沿いに軍なんかひとつも置いてねえじゃねえか!全軍ことごとく首都に集結させやがってどういうつもりだ。大パレードでもやんのかコラ!

洪:パルチザンが心配でね。

ぎ独:そんなもんいねえよ!いいから早く東方に展開しろよ!!

洪:兵なら送ってるでしょ。

ぎ独:ケチな爆撃隊ばっかじゃねえか!しかも飛んでる時間より空港待機の時間の方が長いってのはどういうことだ。使えねえ飛びモノはいいから陸戦隊回せよ!こっちも必死なんだよ!!

洪:トランシルヴァニア問題が解決したらね。


ミクロシュ・ホルティよ、お前はチャーチルよりも頭にくる。


逆転のウィーン裁定~1940年9月5日

ホルティの言う“トランシルヴァニア問題”とは、第1次大戦で敗北したハンガリー(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)がトリアノン条約によって国土を縮小の憂き目に会い、その過程でトランシルヴァニア地方がルーマニア領になってしまった件である。要するに、ホルティはそれをハンガリーに返しやがれというのである。
史実ではこれは「ウィーン裁定」と呼ばれ、ドイツの仲介というよりは圧力により、ルーマニアは泣く泣くトランシルヴァニアをハンガリーに返還、さらにはブルガリアにコンスタンツァ割譲という悲劇に見舞われる。そしてこの弱腰外交によってカルロ2世は王位を降り、息子のミハイ1世が王位に帰り咲くという流れである。史実では。

史 実 で は な 。

その裁定の日である9月5日、ぎ印ドイツ帝国は高らかにハンガリーの要求を却下。糞の役にも立たんお前らが最前線で奮闘なさってるルーマニア様のトランシルヴァニアをよこせなど、図々しいにも程がある。やらねえよ馬鹿。お前らはもういいからブタベストで誰も見ねえパレードでもやってろ。帰れ。
さあ、これでもう安心だよカルロ2世、と言いかけたところでルーマニアで軍国主義者のクーデター発生。

(゚д゚)ハァ?

どういうことだこれは。鉄兜団はいったい何が気に食わんというのだ。ウィーン裁定はルーマニア有利にしてやったんだぞ。カルロ2世がその地位を追われる根拠などないはずだ。
クーデターの理由はよくわからない。いずれにせよカルロ2世は放逐され、代わりにミハイ2世が据えられることとなった。どうなってんだよこの国は。

どうでもいいがこれをきっかけに弱軍化だけはせんでくれよ。


イタリア発:ブルガリアの要求に屈し、スコピエとスティップを譲渡~1940年9月25日

ぐわーっはっはっは。


From Russia with bullet~1940年8月13日-12月3日

8月13日、ほぼ予定の時期に北部方面軍の先遣隊がミンスクに到着。いいぞ、その調子だ。
ミンスク制圧以降、北部・中部方面軍は合流し、共にモスクワを目指すこととなった。というか、頭数揃えないと勝機が見えぬ戦いなのである。戦線の拡大による戦力の分散はやむを得んとして、分散されてなお各個それなりな兵力を持つという条件が求められるのである。
9月21日、ルーマニア軍の底力に安堵した南部方面軍がキエフ落としを敢行。28日、同地を確保。これで南部方面軍の当座の目標は達成された。次の目標地点はハリコフ、ロストフとなる。
10月5日、じわじわと進軍する北部・中部方面合同軍はスモレンスクを陥落に持ち込む。予定期間内に落とせたか。大変よろしい。問題はここからのモスクワ詰めだ。モスクワ周囲のプロヴィンスを落とし、包囲して叩くが最善なのだ。

その作戦を遂行中、突如わがぎ印軍勢の足が鈍った。何だこれは。どういうことだ?
日付を見ると、12月3日。

私が一番恐れていた「冬将軍」の到来であった…。

つづく。
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