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【ひとりぶらりこ企画】 帝国時代の残光を辿る~横須賀・猿島編(その2) 

猿島編(その1)。

※一部写真はクリックで拡大可(640*480)

【右江百八十 左江九百五】

猿島上空

海軍港石柱ゆらゆら船を降り、貧乏桟橋をてくてく歩いて逝く。しばらくすると、視界の先に何やら細くて長いモノが現れる。それは石碑というか、石柱というか、石碑であった。
その横須賀湾を臨む正面にはこう彫られている。

「海軍港 南正眞 直經九百五

猿島。今はエコ・ミュージアムを謳う東京湾のこの静かな無人島は、その昔、帝国海軍の管轄下(関東大震災までは陸軍の管轄)に置かれた軍事拠点のひとつであった。そう、ここはかつて「猿島要塞」と呼ばれた、東京湾防衛の一角を担った“要塞の島”だったのである。


【猿島要塞って何さ】

“要塞の島”としての猿島の歴史は、江戸時代後期まで遡る。
1847年(弘化4)、江戸幕府は異国船による江戸湾侵入を防ぐため、猿島の南東部、北端、北東部を大きく切り崩し、それぞれを大輪戸、亥ノ崎、卯ノ崎として日本初となる「台場(大砲を据える台座)」を建造した。後の“要塞の島”は“お台場”からそのキャリアをスタートさせたのである。
時は移り明治時代中期になると、明治政府は東京湾口の護りを固めることを目的とし、台場に代わって新たに洋式砲台と要塞を猿島に建造する。
「要塞」とは、外敵を防ぐための防護施設である。兵舎や弾薬庫、あるいは司令室など、すべての施設が岸壁を掘り込んで造られているため、島の外からは内部の様子がまったく見えないという構造となっている。ビバ要塞!
さて、明治時代の東京湾要塞には、千葉県の富津岬と神奈川県の観音崎を結ぶ湾口部(観音崎-富津ライン)を護る砲台群と、横須賀、長浦港の両軍港を護る砲台群とがある。この猿島砲台は観音先砲台とともに前者に属し、湾内を通過する敵国の艦船を砲撃すると同時に、海堡(海上要塞)を支援することが主たる任務であった。
砲台には艦船の迎撃用として、27㎝、あるいは24㎝口径のおフランス製の加農砲(カノン砲)が配備された。しかし、1923年(大正12)の関東大震災でその一部が崩壊したことや、長距離砲の発達、海戦から航空戦への主流戦術の転換などにより、猿島が実戦で使われることは一度もなかった。やがて猿島の砲台は陸軍砲台から除籍され、以降は海軍の管轄下に置かれることとなる。
海軍への移管以来、適切な運用方法が見出せぬまま長らく放置の憂き目に遭っていた猿島要塞であったが、1936年(昭和11)より、再び軍事施設として甦ることになった。
Osami_Nagano.jpg当時海軍大臣だった永野修身は、横須賀鎮守府司令長官の米内光政に対し、猿島に8㎝高角砲4基と射撃の指揮、照空装置や空中聴音機、対空監視哨などの設置を指示する。海から空への主流戦術の変化に応じ、猿島要塞は今度は「防空砲台」として新たな役割を担うことになるのだった。
1941年(昭和16)頃からは鉄筋コンクリート製の円形砲座が5座造られ、その上には高射砲が配備された。そして1945年(昭和20)8月15日の敗戦のその日まで、猿島の高射砲はひたすら空を睨み続けたのである。ただし、猿島には実戦の記録がないということから、その高射砲が睨んだ先の空に向かって火を噴いたことがあるのかどうかは定かではない。
敗戦後、高射砲は占領軍の手により解体され、島はアンクルサムに接収されることとなった。
猿島の“要塞の島”としての歴史は、そこで幕を閉じたのである。

さあ、少し歩こうかね。


【コイルを回せ】

海軍港の碑の脇を通り過ぎ、木々の多い茂る切り通しへとつながる坂道を進む。なだらかとも急ともつかぬ微妙な坂道を上るにつれ、「ヴーンヴーン」と唸るような音が耳を突くようになる。
P1030339.jpgこのヴンヴン音は、左手に見えてきた小屋から発せられていた。
そこは発電所であった。音の正体は発電のモーターか何かの駆動音である。現在の動力は何かわからないが、島の電力はここからの自家発電により賄われている。
猿島を紹介しているwebサイトの中には、この建物をかつての「兵舎」としているところも散見するが、そうではない。この建物は今も昔も「発電所」である。
この建物が完成したのは1895年(明治28)。蒸気機関による発電所として造られた。
P1030360.jpg建物の構造は、レンガ積みだけで自立した壁と、「木造キングポストトラス」という小屋組の屋根で構成されていた。写真を見る限りでは、煉瓦積みの壁は補強のためかカモフラージュのためか、つまらん色のコンクリートで重ね塗られてしまっている。いつ頃そうなってしまったのかは不明だが、あるいは猿島が「防空砲台」として再利用されることになった1936年から45年までの間のことだろうか。コンクリの剥がれ具合からして、最近の話ということではないだろう。剥がれたコンクリートの隙間から、往時を偲ばせる煉瓦が姿を覗かせている。見栄えとしてはフル煉瓦の方がいいじゃねえかとも思うのだが、まあ諸々の事情でそういうわけにもいかんのだろう。
屋根については、オリジナルのものは崩壊してしまったのか、現在はグリーンのトタン屋根となっている。
建物内部には気罐室と発電機室、石炭庫があり、気罐室の下には蒸気機関で使う水を貯めていた地下水層の存在が確認されている。そして、ここで作られた電気は建物の裏から切り通しを伝い、島の中央部高台にある照明所に送られていたという。
発電所の奥の崖には浅い壕がいくつか掘られていた。壕の手前がフェンスで仕切られていたため、残念ながら間近で検分することは叶わず。掘られた当時の用途は定かではないが、現在は資材置き場になっているようだ。

猿島上空a

つづく。

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コメント

遺産は観光用に整備されたり封鎖されてる箇所も多いんですが、その夏場の混みようを考えれば、そういう形での保護もやむを得んのかもですな>猿島

夕刻のトンビとカラスの仁義なき戦いは健在。見てるとどうもトンビに分があるようでw

軍艦島も惹かれるが、都の杜からは遠いですぞ、手動blogpetよ。

私は猿島のトンビになりたい。
ピーヒョロー

ワレツラレニヤッテキタクマ。
ハズカシイコトハァハァ。

2年くらい前の夏に猿島上陸した経験あり。当時は友人の誘いで着いていった為、そんな島だとは知らずに、海水浴&BBQ。着いたら汚いのなんのって。入る気無くなりました。人口密度も高杉てBBQもいい思い出なし。その代わり、島の探索が面白くてgd。調べてから逝ったらまた違う視点で見れたね。

恥ずかしい話をしてるひといるけど、

Hansは端島いきたいです。

恥かしい話ですが…

私のしてるとこ、見てくれる人いませんかぁ~?
報酬は払います(;><)
http://lppulu.net/wata-ona/0gvq7/

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