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狂気の大統領Guicho Zurdo:「トロピコ」で放置国家をシムしてみよう 

※やっとこさリプレイの目処が立ったため再掲。


1976年春、NHKの教育番組「みんなのうた」において、とある曲が世に放たれる。スタジオ・ノーヴァによる人形アニメーションと、水森亜土とトップギャランのクレジットで歌われるその曲は「南の島のハメハメハ大王」という。
過日、ふとしたきっかけでこの「南の島のハメハメハ大王」の世界、すなわちその歌詞の全容を知るに至ったのだが、それは読めば読むほど不思議の世界であり、知れば知るほど驚愕の世界なのである。この国はいったい何なのだろう。
ハメハメハ大王なる人物が統治するその国家名は公表されていない。曲のイメージと、その“ハメハメハ”という名前からしてついハワイ諸島を想起してしまうが、ハワイはアメリカ合衆国を構成する1州となってから久しい上に、名前が似ているカメハメハ1世は件の詞に歌われるようなのほほんとした人物ではない。初代ハワイ国王カメハメハ1世は大英帝国から武器を買い付け、噴火という自然災害までもを利用して近隣の島々を征服して逝ったナイスガイである。ロマンチックとは程遠い堅実な策士であり、ハメハメハ大王とは根本的に仕様が異なる。
では件の曲の舞台はいったいどこなのかと問われても、今の私に答える言はない。ただわかるのは、表題に冠せられた“南の島”という地理的な位置と、信じ難いような数々の問題をよそに、国家が何の支障もなく機能かつ運営され、人々は己が国家体制やその政治に何の疑問も不満も抱くことなく、脳天気に日々を暮らしているという事実のみである。

ハメハメハ大王が統治する国家の問題点とは何か。

統治者たる国王ハメハメハ氏そのものが問題である。“大王”とまで呼ばれている以上、その政治的な権限は極めて強大かつ専制的なものと考えられるのだが、当の本人は風に歌声を聴き、星に夢を語るただの夢想家である。ジョン・レノンはそれを理想とするのかも知れないが、まがりなりとも彼は強大な権力を有した国家の代表者である。国家元首なのである。夢想してる場合ではない。彼には国政に係るありとあらゆる案件・課題が待ち受けているはずであり、そういったものへの検討・対処に追われる日々のはずだ。しかしながら歌詞を読む限りでは、彼の国政への関与を伺わせる様子は一切ない。あるいはハメハメハが権力者であることを示すような根拠もない。にも関わらず、彼は曲の中で「偉大な大王」と紹介されているのである。こんな国王のいったい何がどう偉大なのだろうか。
その奥方たるハメハメハ女王もまた看過されざる人物である。この女王、その温和な性格はよしとしても、日が昇った後に悠々と目を覚まし、日没前には床に就くのだという。それでは実働6時間にも満たないどころか、事実上公務の放棄に等しい。ファースト・レディたる者がだ。それ以前に人としてかような生活は如何なものか。ひどすぎる。
そんな両陛下には複数のお子さまどもの存在が確認されているが、揃いも揃って問題児どもである。全員就学年齢には達しているようなのだが、そのいずれもが「学校嫌い」を公言してやまない。しかも風がそよと吹いただけで遅刻し、雨天に至っては行こうとすらしないのである。私が子ども時代より常にそう願いながらも一度も成し得なかったこの怠惰の極地を、彼らは誰からも非難されることなく堂々と実践している。民どもの規範となるべき王族の人間が自ら教育の理念・概念・必要性を真っ向から否定しているのである。しかしそれでも歌詞は「♪ハメハメハー」と、この堕落の象徴のような王族を崇拝してやまないのである。彼らが愛される理由とは何なのか。
そして、そんな問題だらけな王室に支配される民どもの悩みは何かといえば、名前が皆「ハメハメハ」であるため、わかりやすい反面、生活の上ではちょっと不都合であるという程度に留まっている。こういう国家こそ住基ネットの是非に関する論議が高まって然るべきなのだが、件の歌詞からはそうした機運が高まる気配はまるで見受けられないし、そういう国民の生活上の不都合に何ら対処の姿勢を見せない王室への不満の声もまったく聞かれない。そこには体制批判の翳は微塵も伺えないのである。
政治的には破綻も同然、君主としての威厳はなく、統治の素振りすら見せないハメハメハ政権。それでも誰も何も言わず、この国は最後までひたすら「♪ハメハメハー」と歌い踊り、大団円を迎えるのである。国家元首ハメハメハ大王を筆頭に、この国の人間は政治イデオロギーや経済概念といった、国家を成す上で避けては通れないはずの要素をすべてスルーし、ただ日がな歌って踊ってそこに幸福を見るのである。個々を単位に考えるならそれは由々しき快楽主義の蔓延ということになろうが、国家そのものが政治を否定しているのである。これはもはや法治国家ではなく放置国家である。
放置国家。それはアナーキズム(無政府主義)の極地であると同時に、見方を変えればある意味究極の自由主義でもある。何からも束縛・管理されず、義務も果たさず、国家に何も求めない。人々はあるがままに生き、それぞれにとっての快楽をむさぼり、堕落と放蕩をその日課とする。それでもそこは国家として存在し、人々はその究極の自由を「何もしない」ことに変換し、日々の生活を楽しく愉快に謳歌している。にわかには信じられない話ではあるが、少なくともハメハメハ大王の国家ではそれが成立している。歌詞がそれを立証しているのである。
だが疑問は残る。歌詞における事実はともかく、実際問題として国家がその役割を放棄してすべてを民どものなすがままに預けたとして、果たして何の弊害もリスクも生まれないのだろうか。自由の代償はないのか。あるいはそういう世界観におけるは国家の存在意義とは。どうなのだろう。
うむ。疑問に思うのなら実際シムしてみるほかあるまい。
ということで、「トロピコで政治シム」第4弾はこれだ↓

「究極のフリーダム。放置国家はこの世のユートピアになり得るのか~ハメハメハ大王の世界をシム」


まずはおなじみ島の規模設定。
これまではいずれも平均的中程度な設定でシムを敢行してきたわけだが、今回はそうは逝くまい。歌のイメージで判断するしかないのだが、この南の島とやらは恐ろしく小さいものと見た。ということで、「最小」に設定。…狭過ぎである。孤島サバイバルな番組でもスルーされそうな規模になってしまったが、まあ仕方あるまい。その他基本資源群はいつもの通りデフォ値にて設定。

次はゲームの勝利目標。
ハメハメハの世界の勝利目標ってば何だろう。「世界一の金持ち」や「経済大国を目指せ」以外になろうことは間違いないのだが、「歴史に名を残す」というのもなあ。歌にされるのは、ある意味“名を残す”ことになるのだろうが。んー、では「南の楽園」ってのはどうか。

「大事なのは幸せです。その他のものは、幸せを達成するための道具でしかありません。我国の住民をカリブで一番幸福な者たちへしてあげてください。その時、あなたは真の偉大な指導者となれるでしょう」


真の偉大な指導者となれるでしょう。
真の偉大な指導者となれるでしょう。
真の偉大な指導者となれるでしょう。


…これだ。私が求めているのはこれだ。これなのだ。「圧政(兼腐敗)国家」「共産国家」「福音国家」…。今までどんな国家体制で臨もうとも、Guicho Zurdoは嫌われるか憎まれるか恨まれるかのいずれかであった。私は決して好き好んで民どもの怒りを買おうとしたわけではない。私は常に「偉大な指導者」でありたかったのだ。しかし結果的に私はいつも悪党として蔑まれるのである。それはきっと私の政治姿勢が根本から間違っていたからなのだろう。
ポンセよ、私は政治家として大切なことを見誤っていた。私はこれまで、「偉大な指導者」とは民どもを従わせる“力”を持った者であると考えていた。だがそうではないのだ。「真の偉大な指導者」は民どもを幸福にいざなう“導き”を成す者なのだ。どうやら私はその大前提を見失っていたようだ。ついカッとなって政治的な暴力を振るい過ぎた。権力の横暴なら何でもよかった。今は反省して犬。

続いて環境情勢。
世界情勢からまるで背を向けわが道を逝くハメハメハ王国。その頑なまでの唯我独尊、他の追随を許さぬオリジナリティは閉鎖性をもたらすものでもあろう。そこを現世のユートピアと考える彼らにとっては「現状維持」こそすべてであり、新しい思想・信条はなかなか受け容れ難いものがあるはずだ。であるなら、そうした現状を乱す脅威を有する移民の存在、外国人の流入は原則認めるわけには逝くまい。となると、ここは「移民反対!」をチョイスが正しい答えのはずだ。

そして大統領のキャラ設定。
毎度ながらの無意味なご尊顔の選択である。なんか今回は無意味に輪をかけてどうでもいい心境だ。ハメハメハのイメージに近しいキャラって何さ。んー、まあ要するにポップでトロピカルで脳天気そうな御仁を選んどきゃ間違いねえだろってことで、Lou Begaに決定。つーかお前みたいな誰も知らねえマンボなドイツ人ミュージシャンがなぜ選択肢に組み込まれてますか。しかもその次のタブに控えますは赤い革命家チェ・ゲバラだ。いったいどういう根拠でキャラがエントリーされかつ配置されているのか、理解に苦しむ。どうでもいいけど。

さて、毎度ながらどうでもいいご尊顔が決定し、毎度ながらその名をGuicho Zurdoと改めた次は、毎度ながら重要な大統領の権力基盤・特性・その他。

まず背景。
“大王”などという神をも畏れぬ図々しいバックボーンなどない。なのでそれっぽいルーツを選択するしかないのだが、近しいところとなると、「御曹司」か「金持ちの息子」あたりか。つーかこのふたつ、何が違うんだろう。注釈を読むと、御曹司は特権階級のぼんぼんで、金持ちの息子は前大統領の血筋で既に名声と敬愛を有してる、とな。ならば「金持ちの息子」が妥当なところか。
で、権力基盤。
ハメハメハ一族がおそらくそうであるように、Guicho Zurdoも世襲でその座に就いた形でよかろう。「権力を譲り受けた」にチェック。なんだかぬるいキャリアの国家元首になりそうだな(笑)。
で、そんな苦労を知らぬプレシデンテの素質とは何か。
世襲で民どもの頂点に君臨するに必要となるは、「カリスマ的」であろう。先代の劣化版コピーというイメージだけは避けたいものだ。先代を凌駕したと思わせるにカリスマ性こそ必須な条件なのだ。同時に、そんな民どもの心を知り、上っ面の共感で奴らをコントロールせねばならない。そう、「エンパシー」が重要なのである。
このふたつのチェックで、Guicho Zurdoへの敬意はさらにup。うわっはっはっは。ポンセよ、オラ今回はなんか勝てる気がしてきたゾ。
そんな民どもから愛されるプレシデンテも人である。欠点はある。さて、それは何か。
井の中のGuicho Zurdo大国を知らず、彼は民の支持こそすべてと信ずる「うぬぼれ屋」なのだろう。そして、そのことに気づかぬは「愚か」の証なのかも知れない。チェック&チェック。

ということで、放置国家の大統領の概観は以下の通り↓

民主主義の期待度:低い
総合的な敬意:+35%
知識人の派閥:-20%
アメリカとの外交関係:-20%
ソ連との外交関係:-10%
教育:-50%
ラジオとテレビの独断的主張:+50%
守備兵の最低給料20ドル
大学の禁止


…なんだか頭の悪そうな大統領になってしまったのは気のせいだろうか。まあいい、既に賽は投げられたのだ。逝け、タイガー。

適当な頃合いで、プレイ&リプレイ報告。
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コメント

妄想ではない、想像力なのだ。

ハメハメハの歌詞でここまで書けるソチの妄想力に乾杯アルヨw

今回は寄り道企画ってところでしたが、楽な戦いでも茄子。

まさか放置国家で来るとは・・・。現実的にはどのような国をイメージすればよいのだろうか。人民戦線のスペイン?いや、違うなぁ・・・。ブルネイか?w

農本主義を掲げたポルポト政権時代のカンボジアの再現でもするかと思っていましたが、予想が思いっきり外れて驚いておりますわい。

せ、せ、世界って、ひ、ひ、広いんだな。

反米親ソですか。
大学の禁止ですか。
兵士の給料は高いんですか。
テレビは独断的放送ですか。
どこかにそんな国があったようなw

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