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Guicho Zurdo:千年帝国の野望~「Hearts of Iron・Ⅱ」のリプレイ(その1) 

一部の方々から絶大なる支持を得、今なおトロピコ政界復帰への声も高きGuicho Zurdo閣下の登場であるが、あいにくながら「極端国家シリーズ」のリプレイではない。それはまたいずれ。

今回は「Hearts of Iron・Ⅱ」である。

どんなゲームなのかはこのあたりにてということで、レッツ・スタート。


ぎ印ドイツ国民に告ぐ~1936年1月1日

私はGuicho Zurdoである。ゲルマン民族でもアーリア人種でもない。ただの日本人であり、ただの政治兼軍事ヲタである。そんな私めに統治されることに対する諸君らの断固たる抗議は猛烈な勢いで退ける。ゲームを開始した今この瞬間から、第三帝国はすなわち「ぎ印ドイツ帝国」であり、私はその見えざる指導者として、諸君らは否が応でもその民として存在するのである。もはや選択の余地はない。
さて、先の大戦におけるドイツの敗北は、紛れもなくチョビひげのオーストリア人の定見のなさにほかならない。私はその見誤った過去を糾すべくこの地上に舞い降りた天使であり、歴史を動かす神である。そんな私を堕天使と呼びたくばそう呼んでもらって構わない。邪神と非難されることすら吝かではない。しかし、トロピコで培ったこの私の政治力、少しはあてにしてもらいたいものである。
では、神の見えざる屁をひねるとしよう。

まずはぎ印ドイツ帝国内閣の総検めである。国家元首は総統アドルフ・ヒトラー、政府首班は副総統ルドルフ・ヘスという輝けるキチガイコンビ。両方とも即座に首をすげ替えたいところだが、ヒンデンブルグを墓から掘り起こすわけにも逝かないのでこの男で我慢するほかない。いずれにせよ、この私を前にしてはヒトラーとてただの傀儡に過ぎぬ。だがせめてルドルフ・ヘスくらいはどうにかならんものか。つーかこの男の存在意義とはいったい何か。
外相はコンスタンチン・フォン・ノイラート。控えにはヨアヒム・フォン・リッベントロップもいるのだが、当座はこの穏健なノイラートおじさんでよかろう。
内務大臣はヴィルヘルム・フリック。ある意味ナチズムの権化ともいうべき人物である。ナチ党の一党独裁を目論んだ「全権委任法」やユダヤ人迫害の根源をなす「ニュールンベルク法」の起草人であり、ついでに右手を挙げ「Heil Hitler!(ヒトラー万歳)」とのたまうナチ式敬礼を義務化した張本人でもある。のっけから香ばしいな。なんか嫌だ。すげ替え可能な他の人材を確認したところ、いたのはクルト・ダリューゲにラインハルト・ハイドリヒ。馬鹿野郎、悪党揃いじゃねえか。と思ったら元法相のフランツ・ギュルトナーがいた。救われた気分だ。この人に決定。
軍需大臣(国防相に相当か)はヴェルナー・フォン・ブロンベルク。ナチへのご追従から「L?we des Gummis(ゴムのライオン=見掛け倒し)」と陰口を叩かれた元帥閣下である。なんか駄目そうだ。なので銀行屋のヒャルマー・シャハト先生を招聘。
参謀総長はルートヴィヒ・べック、情報大臣はヴィルヘルム・カナリス。いずれクーデター計画を企てることになろう危険なふたりを政府中枢に置くのはどうかとも考えたが、二大馬鹿を除いては割と穏健派を取り揃えてあるので、そのイベント発生の機運は高まらぬやも知れぬ。まあ私自身は激しくタカ派に国家運営してやる所存だがな。うわっはっはっは。
陸軍大臣は後の罷免を見越してヴェルナー・フォン・フリッチュからヴァルター・フォン・リュトヴィッツへ。海軍大臣のエーリヒ・レーダー、空軍大臣の太っちょへルマンことへルマン・ゲーリングはそのまま。
ってことで内閣人事はおしまい。続いては軍の再編。

真っ先に目が逝くのはミュンヘン駐留の第2軍団4個師団。その指揮を執っているのがこともあろうにハインリヒ・ヒムラーである。お前はいったい誰に断ってそこに鎮座ましましているのか。軍務経験を持たぬ親衛隊全国指導者様が4個師団も指揮できる能力がおありとは到底思えん。図々しいにも程がある。お前なんかバット振る前に戦力外通告だ。ロッカールームで生涯燻っとれ。ということで、駄目将軍の代わりにフォン・ヴィーダースハイムなる中将閣下を据える。しかし中将クラスで4個師団の指揮は持て余す。そこで1師団分離させ、エルンスト・ブッシュをあてがう。後の第16軍司令官であり、元帥にまで登り詰める人物である。しかし現段階では少将殿。今後の武勲に期待しようぞ。
まだひとつしかない戦車軍団の3個師団(ただし軽)の指揮は、エヴァルト・フォン・クライストである。戦後、対ソ戦で大暴れしたことが仇となってソ連から戦犯指定を受け、かの地の劣悪な収容所で非業の死を遂げた悲運の名将である。史実での命運はさておき、フォン・クライストほどの将官が軽戦車軍団ってのはちともったいない話だ。貴官にはもっと重要な軍団を預けたい。そこで同軍団の指揮には、「ホート親父」として兵どもから愛されたヘルマン・ホートを任命。フォン・クライスト中将よ、これは解任でない。新たなる機甲軍団創設の暁には、貴官にその軍集団指揮を委ねたいのだ。
その他空海軍は適当に統合&再編成。つーか私はドイツの陸戦兵力以外はあまりよく知らないんだよね、ってことで軍事はこれにて終了。

さて、動き始めようか。


起て!国民よ!!~1936年1月2日-12月30日

1月6日、ぎ印ドイツ国防軍はおもむろにラインラントへ進駐。何も言わぬイギリスとフランス。
そしてこれに呼応するかのように同日、ケルンに向けてゲルト・フォン・ルントシュテット率いる第1軍団3個師団が移動を開始。これが何を意味するかは10日後に明らかとなる。
その1月16日、ぎ印ドイツ帝国は突如ルクセンブルクに宣戦布告。ドイツとフランスの緩衝地だの永世中立国だのといった理屈は私には通用しない。言いたいことはただひとつ、貴国とその領土はわが国のものである。さっさとよこせコラ。
この日のためにケルンに待機していたルントシュテット軍団が電光石火でルクセンブルク国内に突入。同国軍は成す術なく3時間で降伏。3日後、ルクセンブルクはぎ印ドイツ帝国との合併吸収に同意する。かくして1936年1月19日、ルクセンブルク大公国は消滅した。当然ながらこの暴挙に対し、フランスが激怒。しかしお前らはまだ戦争の準備は整ってはいまい。せいぜい非難決議採択が関の山だろうて。
案の定、何もしないフランス。うわーっはっはっは。

4月19日、イタリアがエチオピアを併合。のやろー。無断でアフリカ大陸に手を伸ばすとはいい度胸だ。ふざけるなイタリア。そこでわが国はイタリアに対し、大規模経済制裁を発動。締結していた貿易協定をことごとく凍結である。もうお前らにエネル源はやらん。

7月18日、スペインでフランシスコ・フランコ率いる国粋派と共和派(人民戦線)が軍事衝突。スペイン内戦の勃発である。25日、ぎ印ドイツ帝国はスペイン内戦への介入を決定。われらが支援するは当然ながら国粋派のフランコ先生である。逝け、ぎ印コンドル軍団よ。
スペイン内戦介入以降、やたら国粋派からの貿易協定締結の要請が頻発するようになる。お前らこっちも軍備拡大で資源は要り用だってのにこの。しかし義勇軍を派遣している手前、泣く泣くわが身を削りながらの国粋派支援を継続。頼むぞフランコ先生。あんたらにはどうしても勝ってもらわねばならぬ理由があるのだ。

年間を通してイタリアがウザい。実にウザい。何がウザいのかと言えば、やたらめったら貿易協定を求めてくる点にある。先の取引凍結がもたらした結果なのだろうが、それにしてもしつこい。しかも毎回尋常ならざる大規模取引ばかりを持ちかけてくる。わが国のエネルギーの3/4に相当する量を平気で要求してくるのである。出せるわけねえだろ。
もちろんその見返りにイタリア側もそれなりな量の金属や物資などの提供を謳うわけだが、そんなに要らねえよ。金属はスウェーデンとの取引で間に合ってるし、石油はルーマニアを相手に事足りる。希少資源はフィンランドが窓口だ。お前らイタリアが出る幕なんかねえんだよ。エチオピアで穴でも掘って石油でも探してろ。

それでもめげずにひたすらわが国に伺いを立て続けるイタリア。ウザいにも程がある。


今度はイタリア抜きでやろうぜ!~1937年1月1日-12月30日

3月13日、「日独伊三国防共協定」にサインか否かの選択。署名はする気まんまんだが、イタリアの存在が気に入らねえ。そこでわが国はイタリア抜きで日独間だけでの締結を選択。かくして、「日独二国防共協定」という新たな歴史が生まれたのだった。
これに対する腹いせなのかイタリア、以前にも増して例の大規模貿易協定案を頻繁に提示するようになった。そんなに出せねえし要らねえって言ってるだろうが。何をそんなに必死なんだムッソリーニ。よその国とやれ。

4月8日、チェコスロヴァキアがハンガリーの要求に屈し、5つのプロヴィンスをハンガリーに譲渡。ぬうハンガリーめ、地味ながら侮れんな。この中欧の危なっかしい国の存在は心に留めておこう。

6月25日、盧溝橋事件発生。同日、日中戦争勃発。わが国としては何もしてやれんが、国民党その他の中国勢からの外交協定要請はことごとく却下するという形で対応しよう。健闘を祈る。

10月19日、懸案だったスペイン内戦は国粋派の勝利で幕を閉じる。見事な腕だフランコ先生。しかも史実より2年も早い決着だ。うむ、わが身削って支援した甲斐があったというものだ。
さっそくわがぎ印ドイツ帝国はこの新生スペインと揺るぎなき友好関係を構築せんと、足繁くマドリード詣でをはじめる。わが国の外相がノイラートであることはこういう時に役に立つ。彼は友好度や同盟締結に関してのスキルが高いのである。リッべントロップが外相ではそうは逝かない。圧力とかは強いけど。
4日後、同内戦で暴れ回ったぎ印コンドル軍団が凱旋帰国。お土産は空戦ドクトリンの研究資料2点である。よくやった。ついでにイタリアにも義勇軍団が帰国の模様。け。お前らも支援してたのかよ。糞生意気な。

この年、ぎ印ドイツ帝国はひたすら軍備の研究・開発と強化・改良に没頭する。各種生産も順調である。フォン・クライスト中将には新たに生まれたふたつの機甲師団と、第2軍司令部のポストを与えた。配置は東部ポーランドとの国境沿い。精進されよ。

イタリアが相変わらずウザい。その図々しい貿易協定案は二度と私の前に出すな。


鳴かぬなら 鳴くまで脅そう ホトトギス~1938年1月1日-12月30日

1月28日、フォン・ブロンベルクの妻に関するスキャンダルが発覚。同将軍の失脚か否かの選択を迫られるが、もともと重要なポストには就いていないので、どちらにしてもさして影響はない。しかし世代交代のことを鑑み、放逐を選択。続いてフォン・フリッチュも親衛隊(SS)の陰謀により同性愛疑惑をでっち上げられ、失脚か否か。こちらも同じく降りてもらうことにした。本当は無罪なのは知ってるが、すまぬがもう引退してくれ。
ちなみに史実では、同将軍はその後第12砲兵連隊の名誉連隊長に下野し、ポーランド侵攻の折に自殺とも取れる突撃を敢行、名誉の戦死を遂げる。

3月2日、ソ連でスターリンによる大粛清がはじまった模様。手練の将官潰して自分の首絞めてどうすんだ。別にいいけどさ。

3月29日、わが国は「アンシュルス」を高らかに発動。これにより、隣国オーストリアはぎ印ドイツ帝国の一部として併合される運びとなった。必然的にオーストリア軍もぎ印ドイツ軍の一翼を担うわけだが、その1/3以上が旧式も甚だしい装備という事実に驚愕。歩兵装備が1918年って何だよ。第1次大戦仕様じゃねえか。勘弁してくれ。しかも騎兵なんて今さらどうすんだ。これから軍のモータリゼーション化を力の限り推し進めようってのに、お前らオーストリア兵はお馬さんでパッカパカ野山を駆け巡ろうってのか。相手は弓矢のインディアンじゃねえぞ馬鹿。
このままではどうにも役立たずなため、やむを得ず軍備生産の割り当てを削り、改良に回すことになった。急降下爆撃機の生産が停滞したのはお前らのせいだ。
この貧相なオーストリア軍団の司令部にはフランツ・ハルダーを任命。あんたしか適任がいないのだ。頼む。
翌月より、オーストリア軍団の2/3はミュンヘン経由でアルザス・ロレーヌ周辺に展開。残りは東部のチェコスロバキア国境付近に集結させ、ささやかな圧力。どうでもいいが早いとこ装備改変して使える軍隊になってくれ。

9月30日、イギリスの駄目首相チェンバレンやムッソリーニらとのミュンヘン会談。わが国は己が論を強硬に主張。結果、チェコスロバキアのズデーテンラントを獲得。周辺でにらみを効かせていた各師団、一歩前へ。にわかに騒々しくなるプラハ周辺。クックック。お前らの歴史は風前の灯火じゃ。クックックック…。

そしてここからにわかに、戦雲の色が濃くなって逝く。


諸君、私は欧州の覇者になることを決意した~1939年1月1日-8月30日

1月7日、わが国の施策に対してシャハト先生が反発。その咎により彼を切るかどうかの伺いが出るが、さすがにシャハト先生を切るのは痛い。つーかスキル的に彼の代わりがいない。なので残留を選択。これがどういう影響及ぼすのかよくわからんが、この選択が間違いでなかったことを祈ろう。

3月3日、頻繁なマドリード詣でが結実し、ついにフランコ先生のスペインと軍事同盟を締結。今ここに、スペインは激動の歴史の潮流に巻き込まれる命運が確定した。沈む時はお前らも一緒じゃ。

3月15日、ぎ印ドイツ帝国の圧力の果てに、チェコスロバキアが国家そのものの終焉を迎える。その段にあたって、私にはふたつの選択肢があった。ひとつはチェコ領土獲得と傀儡ティソ政権を擁立し、属国スロバキアとして独立させる。もうひとつは同国をハンガリーと仲良く分割し、同時に軍事同盟を締結する…。
ここは迷いどころだ。しばし沈思。御しやすい属国の建設は魅力的だが、そこはポーランドと国境を接する。いずれ起ころうポーランドとの対峙の折に、にわか国家の自前の脆弱な軍隊で国境を防衛せよと言っても、それは無理な注文だ。となるとわが軍から師団をいくつか裂いてポーランド・スロバキア国境付近に展開させなければならないわけだが、こちらとて兵力が潤ってるわけでもない。これ以上の分散は極力避けたい。ならばいっそのことハンガリーとの分割でスロバキアを託し、国境沿いは潤沢なハンガリー軍に展開してもらう方が得策ではないだろうか。ポーランドとの衝突の暁には、わが軍は西と北(飛び地領土)の二方面から詰め、クラクフ以南からはハンガリー勢がなだれ込むという総計三方面作戦だ。うむ、これで逝こう。
同日、ハンガリーと軍事同盟。そしてそれに伴い、「独西洪三国同盟」が誕生するのである。歴史にない新たなる枢軸軍の勃興である。

3月24日、リトアニアへの圧力を選択。結果、メーメルを獲得。これでわが国の飛び地の領土がもうひとつ増えることになった。メーメルちっちゃいけど。
後はポーランド領ダンツィヒさえ獲得すれば、ひとつのラインでぎ印ドイツ帝国は繋がるわけだが、その獲得への道はすなわち戦争の勃発を意味しよう。
抜かりはないなわが軍勢よ。西部方面には旧オーストリア勢を主力とする総勢33個師団がアルザス・ロレーヌ地方のフランスとの国境付近に陣取り、その先のマジノ要塞群を見据えている。そこから北へベルギー、オランダ、デンマーク沿いまで、縦並びな形で3個師団づつ有事に備えて配備。アルザス・ロレーヌに大軍勢を集結させてしまった感があるが、かの地の攻略にはそれでも足りないくらいだ。
一方、東部方面には北はダンツィヒ手前から南はクラクフ手前まで、ポーランド国境沿いにおおよそ6師団づつ配備。主力はフォン・クライスト軍団をはじめとする機甲師団連だ。武装SSの名将、パウル・ハウサー中将も3個師団を擁して待機している。その実態は第2武装SS機甲師団「ダス・ライヒ(帝国)」、第3武装SS機甲師団「トーテンコープ(髑髏)」、第6機甲師団という節操のかけらもない編成なのだが、もはや史実にこだわってる場合ではない。私は私の道で逝くことにした。

3月26日、イタリアがまた私に無断でアルバニアに宣戦布告。翌11日、同国を併合。いい加減にしろよお前ら。

8月24日、独ソ不可侵とポーランドの東西分割を謳った「モロトフ・リッベントロップ協定」の締結か、部分承認か、あるいは否かの選択。
ここも迷った。ソ連と仲良くする根拠などない。しかし無理に対峙することもない。どれがいちばん最善なのだろう。判じかねてチャットで黒猫氏にそれとなく伺いを立てたところ、「そこは締結でokだと思いますよ」というその一言で締結を英断。よもや黒猫氏本人もそれでひとつの歴史が動いたなどと思いもよるまいが、これで何か不都合が生じた場合に私が責任転嫁する相手ができたということである。だーっはっはっは。

8月30日、ついにポーランドに最後通牒。「ダンツィヒをよこせ。さもなきゃ攻める」。当然ながら、「ええ、どうぞ」とくれるポーランドではない。ならば武力を以ってして征するほかあるまい。とうとうこの日がやって来たか。

今ここに、ぎ印ドイツ帝国はポーランドに対し、宣戦を布告するものである。

同時に軍事同盟を締結しているスペイン、ハンガリーもポーランドに宣戦布告。それを受け、ポーランドの守護神であるイギリス、フランスがわれらに宣戦布告。追従するカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、イエメン、オマーン、イラク、ネパール、ブータンも続々参戦。港町ダンツィヒの領有権を巡って、世界が動いたのである。

第2次世界大戦が勃発した。

つづく。

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