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Guicho Zurdo:千年帝国の野望~「Hearts of Iron・Ⅱ」のリプレイ(その2) 

経過はコチラにて。

※同時進行の戦線が複数のため、時間軸が多少前後する場合があります。


進軍ラッパはいと高らかに鳴りにけり~1939年8月30日-9月6日

1939年8月30日、ポーランド領ダンツィヒの領有を巡って史実より1ヶ月余早く、ぎ印ドイツ帝国はポーランドに宣戦布告。それはポーランドの守護神、イギリスやフランスをはじめとする連合諸国との戦争も意味した。なし崩し的に世界を巻き込むことになるこの戦争は、「第2次世界大戦」として今に語られるものである。

その火ぶたが切られると同時に、西北のポーランド国境に待機していたぎ印ドイツ帝国軍は一斉にポーランド領内になだれ込んだ。不意を衝かれた形のポーランド軍はほとんど抵抗らしい抵抗もできぬまま、撤退に次ぐ撤退を余儀なくされた。怒涛のぎ印ドイツ軍勢は、懸案のダンツィヒなど目もくれず、ひたすら首都ワルシャワを目指して進軍を続けるのである。
目もくれぬとは言っても、私はダンツィヒを放置するつもりは毛頭ない。そもそもの戦争の発端はこの港町の領有権にある。ゲーム的には取らぬで済むやも知れないが、それでは私の政治的な大義名分が成り立たぬ。だからこそ、ダンツィヒは意地でも確保せねばならない。しかし、そのために手勢を削いで攻勢を殺いでというのも私の流儀ではない。ひとつのプロヴィンスに駒を進めるにはそれなりな時間も要するのである。なのでダンツィヒ確保については、本隊とは別行動のとある軍団にその任を託していた。
その軍団は今、輸送船団でワッデン海を航行中だった。任務はダンツィヒへの上陸と同地の確保である。ロストクから乗船したその軍団は、3個師団で編成された「ぎ印ドイツ帝国海兵隊」であった。そう、私はこの日のために海兵隊を創設していたのである。来たる戦争に備えて欧州マップをぼんやり眺めていた折、海岸沿いの主要なプロヴィンスにはいずれも堅牢な海岸要塞が設置されているであろうことを鑑み、そこを攻略するにあたって空挺部隊の存在は必須にしても、同時に強襲上陸に特化した部隊が後続のために道を切り拓くことの重要性も認識したのである。さっそく1937年後半から海兵の研究・開発を推し進め、翌年の晩秋にはぎ印ドイツ帝国史上初となる海兵師団の誕生を迎えた。その第1突撃海兵師団の長には、名将フェルディナント・シェルナーが就くこととなった。
この史実にない軍団はロストク出航から3日後、意気揚々とダンツィヒに上陸し、つつがなく同地を確保した。唯一の帰る場所を失ったポーランド海軍はダンツィヒ湾を右往左往し、やがて哨戒中のぎ印バルト艦隊の餌食となり、海の藻屑と消えた。

クックック。圧倒的じゃないかわが軍は。この三方面作戦は成功だ。北西から攻め込んだ主力部隊は早くも首都ワルシャワまで迫りつつある。南ではクラクフを奪取せんと、わが同盟国ハンガリーのわずかな軍勢が攻め込んでは敗走し、攻め込んでは敗走し、攻め込んでは敗走を繰り返し、…って負けてるじゃねえか馬鹿野郎!ぐあああハンガリー軍弱えええ!!つーか少ねえええええ!!!いったいどうなってんだよ。急遽脳内ホットラインでハンガリーの長、ミクロシュ・ホルティと脳内会談。

ぎ独:たかがポーランド相手に何やってんだコラ!つーかその少ない手勢はいったい何だよ。他の軍団はどこにいやがんだ。

洪:はい、わが軍の主力はルーマニアとユーゴスラビアの国境付近に展開してございますが。

ぎ独:馬鹿野郎!そっち方面はどうでもいいだろうが!

洪:そういうわけには逝きません。わが国は件の両国と領土問題を抱えているのです。今はまだ戦雲立ち込める気配はございませんが、有事には備えておかねば。

ぎ独:クラクフ攻略はどうすんだよ!お前らが北上してクラクフからルブリンまで詰めてワルシャワからの敗走軍の退路を断ってポーランドの降伏に持ち込むって算段だったんだぞ。台無しじゃねえか!

洪:オストラヴァやヴロツワフの軍団は飾りですか?クラクフが欲しくばそれでどうにかなさい。


ぬううう、この中欧のコウモリ策士め。こんなことなら奴らの軍統帥権を取っておくべきだったが、今さら遅い。ええいもういい、お前らには頼まん。クラクフ攻めなんぞわれらで充分じゃ。オストラヴァ、並びにヴロツワフ駐留の各軍は直ちにクラクフ侵攻を開始せよ。繰り返す、直ちにクラクフに侵攻せよ。弱腰のハンガリー人どもにわれらの力を見せつけてやるのじゃ。

9月6日22:00、クラクフは陥落した。


マジノ・ロワイヤル~1939年8月30日-9月6日

ぎ印ドイツ軍のポーランド侵攻と時を同じくして、アルザス・ロレーヌ方面に展開していた旧オーストリア軍を中心とする大軍勢が、ストラスブールに総攻撃を開始した。対フランス戦の幕開けである。さすがは難攻不落のマジノ要塞群第一の関門、そうやすやすとは陥落してくれない。しかし数にモノを言わせた陸空物量作戦では、さしものストラスブールも崩れはじめ、9月4日午前、ついにフランス軍はストラスブールを放棄し、撤退をはじめた。ポーランド軍が1時間で総崩れになるのに対し、ストラスブールの守備隊は実に4日も持ちこたえたのである。
ストラスブールはぎ印ドイツ帝国の手に落ちた。同地のアメル先生はまた“最後の授業”をやらねばならない。二度目の「Vive La France!(フランス万歳)」でも書いてさっさと教室から出て逝け。もはやそこは紛れもなくぎ印ドイツ帝国領なのである。

マジノ要塞群第一の関門の崩壊を受け、戦線を維持せんと続々とアルザス・ロレーヌ方面に集結をはじめたフランス軍勢。クックック。その調子だ。どんどん集まって来い。しかしながら思ったより数は多くないな。やはり対スペインの戦力は割くわけにはいかぬか。クックック…。
私がスペインとの同盟に執着した最大の理由はここにあった。東からわがぎ印ドイツ軍勢が、西からはフランコ先生率いるスペイン軍勢という挟撃作戦を展開し、フランス軍の戦力を二分させて各個の力を低下させようという狙いである。
こちらは思惑通りの展開だが、フランコ先生の方はどうだろう。再び脳内ホットラインで動向を確認。

ぎ独:わが軍は難所をひとつ切り崩しましたぞ。そちらはどうです?

西:いやーこちらは一進一退というか、二歩進んで三歩下がる状況ですな。はっはっはっは。

ぎ独:負け込んでるんじゃねえか。なんだよフランコ先生、そっちは要塞があるわけじゃあるまいに。もうちょい期待してたんだがな。

西:そうは言ってもこっちはちょっと前まで内戦やってた身でね。完全に復興せんまま戦争勃発だ。軍備も潤ってるわけじゃない。まあのんびり構えましょうや。はっはっはっは。


ぬううう。確かにスペインの参戦は時期尚早に過ぎたのやも知れぬが、今さらどうにもならん。もういい。スペインは国境付近でネガティブな365歩のマーチでも歌ってろ。フランスはわが国がどうにかしてやる。そのために準備してある作戦があるのだが、もう発動してしまうか。…いや、今はまだその機は熟していない。まだだ。まだ動いてはならぬ。焦って功を仕損じてはならぬ。

ストラスブールへと駒を進めるぎ印ドイツ軍団。ミュールズ、メスに集結するフランス軍勢との対峙と相成るが、しかし双方まだ手を出す気配はない。フランスにしてみれば、この大軍勢を叩くにまだ戦力が微妙というのがあろうし、私には私なりの攻めぬ断固とした理由がある。いずれにせよ、アルザス・ロレーヌで大軍勢同士の膠着がはじまった。そうだ、それでいい。それでいいのだ。


ワルシャワの壁~1939年9月14日-19日

9月14日19:00、ポーランドで怒涛の快進撃を続けるぎ印軍団はついに首都ワルシャワを陥落させ、15日の早朝、 先遣の第7軍団がワルシャワに到着した。
翌16日、戦意喪失のポーランドは早くも白旗を揚げ、国家の併合に同意した。ポーランド戦役(Polenfeldzug)はここに終結。史実よりも2週間以上も早い決着だった。
ぎ印ドイツ帝国が得たポーランド領は、ルブリンを境にした西部。東部は戦前の協定に基づき、ニコニコ顔のスターリン@ソ連に割譲されることとなった。血圧プチ上昇。貴様ら大した血も流さんで丸儲けしやがってこの。
私の小さな怒りを敏感に察したか、その3日後、ソ連からの使者が「モロトフ・リッベントロップ協定」遵守の再確認にやって来た。一瞬、そんなくだんねえ約束なんか誰が守るかバーカと、即座に東部ポーランド侵攻の衝動に駆られる私。しかし同時にポンセ黒猫のあの言葉も頭によぎる。

「そこは締結でokだと思いますよ」
「そこは締結でokだと思いますよ」
「そこは締結でokだと思いますよ」

ぬううううううううううううううううううう。…ここは大人しくスターリンと仲良くし、戦力を西部戦線に集結さすが吉のような気がしてきた。
ぎ印ドイツ帝国は、「モロトフ・リッベントロップ協定」の遵守を選択。これでよかったのだろうか…。
…いや、これでいいのだ。ソ連との衝突は当座回避された。ってことはポーランド国境線の守りは最低限に抑え、主力を西部戦線に回して攻略が容易になるということだ。よろしい、主力の機甲軍団は直ちに反転し、フランス国境方面に向かえ。

その日の午後、対ポーランド戦の主軸をなしたエーリヒ・フォン・マンシュタイン、ハインツ・グーデリアン、そしてパウル・ハウサーのオールスター機甲軍団は、ケルン、アーヘンを目指し、ワルシャワを後にした。


ダンマルク王国の落日~1939年9月8日-20日

9月7日、「アルトマルク号事件」が発生。イギリス軍捕虜200余名を乗せた輸送船アルトマルク号が、ノルウェー沖でイギリス軍の艦船によって抑えられ、ノルウェー海軍が傍観する中、捕虜を奪還してしまうという事件である。中立であるはずのノルウェーが、自国海域でのこうしたイギリスの行為に対し、何らアクションを起こさなかったことが何を意味するかを解したぎ印ドイツ帝国は、ノルウェーが連合に与さないうちに叩くか否かの選択を迫られる。
…叩くしかあるまいて。ここに、「ヴェーゼル演習作戦(Unternehmen Weserubung)」が発動された。
となると、ノルウェー侵攻にはまずその足掛かりとなる拠点を確保せねばなるまい。すなわち欧州大陸の北端の地、つまりはデンマークの確保である。北侵はまだ想定外で準備は何ひとつできていなかったが、対応できぬわけではない。こういう時こそ海兵隊の存在意義があるのだ。

9月8日、デンマークに宣戦布告。

急遽ダンツィヒ駐留の海兵軍団に出撃要請。バルト艦隊の庇護を受けつつ、首都コペンハーゲンへの上陸作戦である。陸地からはキールに駐留していた良識の将、エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン率いる軍団が国境を越え、北上を開始した。
ぎ印海兵隊の強襲上陸を受け、コペンハーゲンの守備隊は成す術なく崩壊。フォン・ヴィッツレーベンに至ってはひとつの戦闘に遭遇することもなく欧州大陸最北端、オルボアに到達した。

10日後の9月18日、デンマーク降伏。そしてぎ印ドイツ帝国の領土として併合。チョコと福祉の国、ダンマルク王国は地図から消滅した。

デンマークは北海の孤島、アイスランドをその領地としていた。ぎ印ドイツ帝国の軍門に下るを潔しとせんというのか、パルチザン濃度がやたら高い。かといって、そんな僻地に守備隊を回せるほどこちらも余裕があるわけでもない。
そんならお前らいっそのこと独立して自治でやってくか?ただしわれらの属国としてな。

9月20日、アイスランドが独立。その処断に対してぎ印ドイツ国民の不満度が4%ほど上昇したが、お前らそんなにアイスランドが欲しいのか。いらねえだろ。
同日、アイスランドはぎ印ドイツ帝国と軍事同盟を締結。これで「独西洪氷四国同盟」と相成った。必然的に連合諸国に宣戦布告を執り行う氷島。お前ら軍備ゼロじゃねえか。どうすんだよ。別にいいけど。

デンマークを巡る動きはこれで完結した。海を挟んですぐ向こうは問題のノルウェーがある。すぐにでも攻め込みたい衝動に駆られたが、しかし私にはその前にやらねばならぬことがあった。


「この帽子、ドイツんだー?」 「オランダー」~1939年9月22日-10月14日

「アハハアハハ」とあきれたぼういずの永遠のネタで笑っている場合ではない。
さて諸君。何も訊かず、黙って私の命令を遂行されたし。

9月22日、オランダに突如宣戦布告。かかれ。

同日、その命を受けてドイツ・オランダ国境付近に待機していたぎ印ドイツ軍勢が一斉にオランダ領に突入。アルンヘムとフローニンゲンのオランダ軍を速攻で粉砕、2日後にはアイントホーフェン、レーワルデンでもオランダ軍を完膚なきまでに叩く。
翌月10日にはオランダ第二の都市、ロッテルダムも陥落。敗走を重ねるオランダ軍は首都アムステルダムまで撤退するが、既に陸地は完全に包囲され、背後は海。そしてその海から現わるるは、エーリヒ・レーダー率いるぎ印ドイツ海軍に護衛された、ぎ印ドイツ海兵隊である。絵に描いたような包囲作戦で残存オランダ軍はことごとく壊滅。13日の夕刻、首都アムステルダムにぎ印突撃海兵師団が上陸を果した。

10月24日、欧州オランダは陥落した。政府は植民地インドネシアに遷都。

ふん、われらの手を逃れたつもりだろうが、お前らはいずれ起ころう大日本帝国の南進に対峙するハメとなろう。本陣を失ったお前らに勝算はない。さらばじゃ。


べ、べ、ベルギーって、う、う、うめえのか?~1939年10月16日-10月28日

食べられないが、攻められる。

ぎ独:フフフ。レオポルド3世、聞こえていたら君の立地の不幸を呪うがいい。

白:何、不幸だと!

ぎ独:そう、不幸だ!

白:ぎ、Guicho…、お前は…

ぎ独:君はいい貿易相手であったが、君の隣国がいけないのだよ。フフフ、アハハハ…。


10月16日、ベルギーに高らかに宣戦を布告。

この私のおもむろなベルギー攻めの意味するところが何かを悟ったのは、当のベルギー軍ではなく、同国に駐留するフランス軍だった。急遽後方の部隊をベルギーに赴けようとするフランス。ぎ印ドイツ勢のベルギー突破は、すなわちパリへの道を意味した…。

うわーっはっはっは。フランスめ、今さら気付いても遅いわ。アルザス・ロレーヌのわれらの大軍勢はすべて囮じゃ。いかな大軍とて旧式装備な連中に堅牢なマジノ戦線の突破など預けれるわけなかろうに。わざわざ苦労してストラスブールを崩したのはお前らを南方におびき寄せるための壮大な罠。まんまと陽動作戦に引っかかりおって馬鹿め。われらの本隊は今ベルギーで暴れてる最新装備の連中だ。そいつらは間もなくフランス国内になだれ込んで一路目指すはパリ。ん?どうする?今から首都を防衛せんとマジノから部隊を切り離すかね?おうおう、それでも構わんよ。マジノの防衛が手薄になるなら巨大囮軍団はフランス侵攻第2軍に変身してマジノ戦線突破にかかるまで。その支援のための空挺部隊も既にシュツットガルトに待機させてある。もうお前らに打つ手はないんだよ。だーっはっはっは。

ワルシャワからの長旅を終えてケルン、アーヘンに待機していたオールスター機甲軍団も最前線で奮闘している。名将揃い踏みのこの怒涛の進撃を前に、ベルギー軍及び同国に駐留するフランス軍は総崩れに。25日には首都ブリュッセルが陥落。その2日後には早くも先遣隊がベルギー国境を越え、フランス領内へと踏み込んだ。

28日、ベルギーの欧州本陣が陥落した。政府はアフリカは植民地コンゴへと激しく都落ちの憂き目となった。

このマジノ戦線迂回の北方詰めに対し、アルザス・ロレーヌ方面に展開中のフランス大軍勢には成す術がなかった。今から反転してパリ防衛に駆けつけても、恐らくは間に合わない。しかも眼前の敵は膨大に過ぎる。…フランス勢に、その眼前の敵は数こそ多いものの、実は大半がぽんこつで構成された囮部隊であることなど知る由もなかった。
首都方面に反転すれば、ぎ印ドイツ勢は間違いなくマジノ戦線突破にかかるだろう。かといってこのまま膠着では、いずれパリを落とした主力が今度は背後からマジノを詰め、挟撃作戦で崩しにかかるやも知れぬ…。
結果、マジノのフランス勢はもうひとつの選択をした。それはマジノから退き、南西部に拠点を移して防衛線を確立するというものだった。…動きからすると多分そんな感じだと思う。
ふん、リヨンあたりにでも遷都する気かね。マジノを棄てるならわれらが獲るまで。フランス侵攻第2軍、前進せよ。目標、メス、並びにミュルーズ!

巨大囮軍団が、今度は巨大侵攻軍(ただし旧式)として始動。シュツットガルトからは空挺部隊がメス上空を目指して飛び立った。

首都パリと、マジノ戦線の崩壊は時間の問題だった。


キャタピラよ、あれがパリの灯だ~1939年11月4日-12月25日

11月4日、巨大な陸戦部隊と空挺部隊の二段攻撃により、マジノ要塞群第二の関門、ミュルーズが陥落した。難攻不落を謳ったマジノ戦線はもはや形骸と化しつつあった。

8日、最初にパリに突入したのは、“韋駄天ハインツ”ことハインツ・グーデリアンの戦車部隊だった。その北方では、海沿いのプロヴィンスを海兵隊と陸戦部隊が共闘で次々と陥落させていた。彼らがシェルブールに到達したのは、その1ヵ月後のことである。そこからドーバー海峡の先に見えるは、もうひとつの敵、大英帝国だった。
しかしその前に、今そこにある敵をどうにかせねばならない。ささやかながらも、フランス軍の抵抗は続いていた。その主力は南西部にいるようだが、なんかそっちまで逝くのめんどくせえんだよな…。
どうしたものかと思案してる時、一本の報が入った。フランスの国家そのものの崩壊を避けんと、フィリップ・ペタン元帥を筆頭とするヴィシー政府から、休戦という名の降伏の申し入れがなされたのである。
私もそろそろ疲れていた。フランスの完全制覇の選択肢はあったものの、要所だけ確保できりゃもうそれでよかろうという気になっていた。私はペタンの懇願に応じることにした。

12月22日、フランスの3/5がドイツに割譲されると同時に、ヴィシーより南西部をその勢力としたペタンの親独中立政権、ヴィシー・フランスが誕生した。

対フランス戦は、史実よりも半年以上も早く幕を閉じた。クックック。圧倒的じゃないかわが軍は。ドーバー海峡の向こうで、亡命したシャルル・ド・ゴールが自由フランスだ何だと騒いでいるようだが、お前がそこで快適な亡命ライフを送られるのはそう長くもあるまい。次の戦いがはじまるのはそんな先の話ではないのだ。

ひとまず年内は大人しくしてやるが、年が明けたらそうは逝かぬ。わがぎ印枢軸同盟以外の各国におかれましては、せいぜい陰気なクリスマスを過ごされることを祈念してやまない。

そのクリスマスの日、総統命令によりマジノ要塞群が破壊され、更地となった。

ぐわーっはっはっはっはっは。

つづく。
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