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Guicho Zurdo:千年帝国の野望~「Hearts of Iron・Ⅱ」のリプレイ(その3) 

経過はこちらにて。

※同時進行の戦線が複数ありますので、時間軸が多少前後する場合があります。


シェルブールの落下傘~1940年1月1日

1940年1月1日。ぎ印ドイツ帝国は来たる大英帝国本土侵攻作戦に向け、着々と準備を開始していた。上陸予定の各隊はドーバー海峡を臨む元フランスの地、シェルブールに集結しつつあった。海峡の向こうは連合の大ボスの本陣である。フランス侵攻作戦に参加した部隊のおよそ半数が、今度はイギリスへ向けて出立することになっていた。なんせ敵の総本山に踏み込もうというのである。ここは可能な限りの兵力で臨みたいところだ。
その他の部隊は、主にマジノ戦線攻略に従事した元囮の旧オーストリア軍団であるが、旧ポーランドの国境防衛へと回される手筈となっていた。ぎ独ソ不可侵条約は有効なものの、ヨシフ・スターリンの良心を信じるほど私はお人好しではない。赤は信用せずに越したことはない。

イギリス本土上陸にあたってはひとつ大きな懸念があった。それはイギリス海軍の存在である。侵攻作戦に先立ち、海峡偵察も兼ねて飛ばしたレッドバロンの従弟ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンの爆撃隊が、テムズ河口付近で恐るべき数で編成されたイギリス艦隊の姿を捉えていたのである。その数50余。たったひとつの艦隊が、わがぎ印ドイツ海軍全体が保有する艦船の倍近くの数で哨戒している。あんなのに捕まったら3分ともたぬ。冗談ではない。
恐るべき巨大艦隊との邂逅を避けるためにも、「航行時間が極力短い」、「進・退路の選択肢が多い」が出撃地点選定の条件となった。そしてその条件に合致したのがシェルブールである。
同地を起点とする場合、上陸対象地点となるのはドーバー海峡を挟んだ向こう岸のプロヴィンス3ヶ所。西から、プリマス、ポーツマス、ドーバーである。シェルブールと真ん中のポーツマスは目と鼻の先だが、そこは三方から囲まれた土地な分、袋叩きの危険性が伴う。西のプリマスには停泊中のイギリス海軍がいる。その規模はわからないが、奴らには触れぬに越したことはない。東のドーバーはシェルブールからだとやや航行距離が長くなる…。ぬう、いったいどこへ上陸するが最善なのか。私は決めかねていた。

それとは別に、大きな謎があった。上陸前に予め敵の地上兵力を消耗させんと、繰り返し本土に爆撃隊を送り込んでは慎ましく叩いているのだが、彼らが映し出す敵影を視る限り、ドーバー海峡一帯のプロヴィンスの護りが妙に手薄なのである。その先の帝都ロンドンに至っては守備隊がひとつしか確認できない。そんなバナナ。
…これは罠だろうか。だとしたらどういう類の?想像がつかん。海峡一帯のプロヴィンスに接する一歩先のブリストルで大軍勢が待ち構え、嬉々として上陸したわれらをよく来たなうわっはっはっはと内陸から叩くという作戦も考えられなくはないが、それは私の手口であって彼らの手口ではない。それとも出航地点をロッテルダムあたりと踏んで、ノリッジかシェフィールドを上陸見込地点に想定してるのか。そんな遠回りしねえよ馬鹿。お前らの巨大艦隊の餌食になるだろうが。
いずれにせよ、イギリス本土のこの静けさはどう考えてもおかしい。…そういやフランス戦線でもイギリスの陸戦部隊とは一度も遭遇しなかった。ゆえに、ダンケルクの敗走は起きなかったのである。では奴らはいったいどこにいるのだ。

その答えはスペインのフランコ先生が知っていた。

西:はっはっは。いやー今ちょうどマラガが陥落したとこ。英軍強いわ。


早く言えよ馬鹿野郎!見ればイベリア半島のイギリス領、ジブラルタルにイギリスの大部隊が集結。既に周辺の3つのプロヴィンスを落とし、本格的にスペイン詰めを開始せんとするところであった。だあああもう!奴らぎ印同盟の弱い環から崩そうって算段かよ!食い止めろフランコ!これ以上の侵食は絶対に許すな!!…ってスペインの民兵どもじゃ勝てるわけがねえええ!!!
もういい、イギリス本土攻略は後回しだ。先にスペインを護らねばならん。ポーランド国境も捨て置け。全軍、直ちにジブラルタル方面に向かえ。現地到達までどれくらいだ?機甲部隊が早くて3週間?遅いよ馬鹿野郎!旧弊のぽんこつ旧オーストリア歩兵部隊が2ヶ月半だと?戦争が終わっちまうじゃねえか!しかも敗北でだ!もっと早く逝けねえのかよ。海上輸送の方が早い?英国鮫の餌にする気か。危なくて渡れねえだろうが。陸地伝いの方がずっと安全なんだよ。だから遅い?じゃあ改良の割り当て上げてやるから移動の間に一新しろよ。そんで移動スピード上げろ。何でもいいからさっさとイギリス人どもを駆逐せい。
思いもよらぬ方向からのイギリス勢の突き上げを前に、大混乱をきたすぎ印参謀本部。その追い討ちをかけるように、外務省から一本の報が入った。

「閣下、イギリスがアイスランドを併合しました」

ぶち殺すぞチャーチルこの野郎。


ロンドン・コーリング~1940年1月11日-2月25日

わが帝国がのれん分けして自立させてやった僻地を無断で併合しやがってイギリスめ、いったいどうしてくれようか。しかし、今はスペイン防衛が最優先事項である。僻地の氷島に構ってる場合ではないのだ。われわれは今そこにある脅威から対処せねばならない。
が、ふと思った。確かにジブラルタルから湧いて拡がりつつあるイギリス勢は脅威だが、本陣の製造元さえ叩いてしまえばそれ以上の増長はないわけだ。同時に連中への物資の供給の大半を断つことにもなる。そしてその本陣は主力の大半をスペイン侵攻軍に回してしまい、わずかな守備隊しか残っていない…。
…よし、ではマンシュタインはシェルブールに戻れ。シェルナーの海兵隊もだ。空挺もここに残れ。後はヴィッツレーベンとフォン・レープの歩兵でよい。いずれも直ちにシェルブールへ向かわれたし。
さて、諸君らはこれよりイギリス本土侵攻軍として、グレートブリテン島、並びにアイルランド島の北部の各プロヴィンスの攻略の任を負ってもらう。少ない手勢での本陣崩しとなるが、懸念は無用。本土の脆弱な守備力を鑑みればこの数で充分に対処できるはず。さあ、イギリス兵どもの帰る場所をなくしてやるのじゃ。

1月11日、勢い任せのイギリス本陣侵攻作戦が発動された。

2日後、ぎ印侵攻軍はポーツマスの守備隊を蹴散らし上陸。空からは空挺部隊がプリマスの地に降り立った。ぎ印軍団はロンドンを囲うように周辺プロヴィンスを次々と攻略し、確保。

2月15日11:00、四面楚歌を地で逝く帝都ロンドンは陥落した。

ロンドン陥落を尻目に、ぎ印軍団は停止することなくリバプール、シェフィルードへと駒を進める。グレートブリテン島は蹂躙されるがまましかなかった。


スパニッシュ・ハーレム~1940年1月23日-4月21日

ジブラルタルから侵攻を開始したイギリス勢は、民兵を主軸とする脆弱なスペイン軍を圧倒。アルメリアまで到達していた。スペイン海軍はほぼ壊滅。空には連合諸国の戦闘機がぶんぶん舞っていた。…これを叩けってのかよ。

頼りないフランコ先生よりスペイン軍の軍統帥権を獲得したぎ印ドイツ帝国は、スペイン軍の再編から着手。ぽんこつが各個バラバラに挑んだって勝てるわけねだろ。厳かに統合再編を執り行い、ハエンにてぎ印ドイツ勢の援軍を待っていた。早く来い。
1月下旬、最初にハエンに到着したのは韋駄天ハインツの戦車軍団だった。その後ハウサー混成軍団も到着。アルメリアのイギリス兵どもは先行のお前らでどうにかなるだろ。さあ、さっさと奪い返すのじゃ。
長旅の休む間も与えられず、ぎ印戦車軍団は現地の駄目民兵軍団とともにアルメリア奪還作戦を開始した。突出したイギリスの先遣部隊を追い返し、つつがなく同地を奪還。防戦体制を維持しつつ、後続部隊の到着をひたすら待つ。頼むから早く来てくれ。マラガの軍勢に踏み込まれたらここはもたん。
マラガのイギリス軍は動かなかった。ぽんこつながらも数だけはあるハエンのスペイン軍勢の存在が、彼らを踏み留まらせたのだろうか。しかし数はあれど所詮はぽんこつ。こんな手勢でマラガに進むわけには逝かない。やはりここは待つしかない。
2月上旬、いくばか足の速いぎ印自動車化歩兵部隊がハエン、アルメリアに到着。まだだ。まだ足りぬ。
結局、足の遅い砲兵旅団を擁したフォン・ブラスコウヴィッツの歩兵部隊が最後に集結地点に到達したのは、3月26日のことだった。
翌日、ぎ印ドイツ遠征軍はぽんこつスペイン軍との共闘にて大反攻作戦を開始。マジノ攻略戦をも凌ぐ大軍勢を前に、マラガのイギリス勢は持ちこたえられず敗北。残存はジブラルタルの穴倉へと引っ込んだ。
マラガの奪還をGoサインに、周辺に待機していた軍勢がセヴィリヤ攻略を開始。4月13日、数に物を言わせて同地を奪還。その時既に、セヴィリヤからのイギリス軍の敗走を許さんと、マラガに進んだぎ印軍団がジブラルタルを陥落させていた。逃げ場を失ったイギリス勢は、滅びる以外の途を失った。

4月18日、スペイン防衛戦はぎ印同盟軍の勝利で幕を閉じた。同日、いつの間にか戦争をしていたイタリアがユーゴスラヴィアを併合。ふざけんなよお前ら。

イギリス軍の駆逐がすんだとあらば、こんなところに当座の用はない。遠征軍は直ちにポーランド国境防衛に転じよ。到達までどれくらいか?韋駄天ハインツで1ヶ月かかるだと?ぬう、欧州大陸の西端からの移動だからな。それは仕方ないが…。歩兵はボルドーまで北上してそこから船で運ぶほかあるまい。イギリス本土の港湾も抑えつつある。海上の脅威は多少軽減してるだろう。
移動は全軍ではない。ジブラルタルのルントシュテットは残れ。ゼヴィリヤも3軍団ほど残留して欲しい。諸君らは駄目民兵に代わって、しばらくここの防人に徹してもらいたい。そして危機が去ったと判断された暁に、新たな命令が下るであろう。

21日、スペイン軍の統帥権をフランコ先生に返却。今度は自分でどうにかせい。つーかもっとマシな軍隊作っとけ。


ノルウェーの杜~1940年4月13日-26日

私は「ヴェーゼル演習作戦」のことを忘れたわけではなかった。イギリス本土上陸を果たした後、手薄な本土防衛軍を叩くにマンシュタインと2つの軍団あらば充分と、他は欧州大陸最北端、オルボアに集結させていたのである。そこには新たに配備されたエドアルト・ディートルの空挺部隊と、はるばるアルプスからやってきた山岳歩兵どもの姿もあった。ノルウェーには山岳地帯も多いのである。

4月13日、満を持してノルウェーに宣戦布告。

同日中に空挺部隊が首都オスロを制圧。3日後にスタヴァンガーへ陸上部隊が上陸。その翌日、ベルゲン、クリスチャンサンへ向けて部隊は侵攻を開始。残った海兵隊は再び乗船し、もうひとつの要所、ナルヴィクへの強襲上陸に向けて出立した。
ノルウェー軍は逝く先々でことごとく敗北。やがてナルヴィクも海兵隊の奇襲を受け陥落。

4月26日、ノルウェーは降伏した。


ケルトの憂鬱~1940年5月1日-3日

4月下旬、グレートブリテン島の拠点をことごとく掌握したマンシュタイン軍団はリバプールへと戻り、そこからアイルランド島へ上陸。北アイルランド攻略を開始した。攻略といっても、防衛のないベルファスト、ポータダウンへの道のりは、ただの行軍であった。
そこから先は何の罪もないアイルランド共和国になるわけだが、しかしぎ印ドイツ帝国にとっては、そこがイギリス本陣に近いというだけでも罪なのである。帰る場所を失ったイギリス兵どもの宿場となっても困るのだ。恨むなよ。

5月1日、アイルランドに宣戦布告。

3日、あっという間の首都ダブリンの陥落に猛烈な勢いで戦意喪失したアイルランド政府は、同日降伏。3日戦争、ここに終結。


氷島奪還作戦~5月6日-15日

ノルウェーの陥落と同時に、同地の侵攻軍に新たな命令が下った。無断でイギリスに併合されたアイスランドの奪還命令である。ノルウェー侵攻軍は今度はアイスランド侵攻軍として、輸送船に乗り込んだ。上陸の斬り込み隊はもちろんシェルナーのぎ印海兵隊である。デンマーク、イギリス、ノルウェーと、上陸の尖兵を担った海兵隊はもはやなくてはならない存在となっていた。今度の作戦で、彼らはまたひとつ星を挙げることになるのだ。

5月6日、首都レイキャヴィク上陸を敢行。同地の護りについていたのは、なんとニュージーランド軍だった。連合も酷な配置をする。南半球の兵隊がこんなところにいてまともに戦えんのか。つーか寒くないのかお前ら。だからって容赦しないけど。
8日、レイキャヴィクを抑えたぎ印侵攻軍はそのまま隣のホプンへ進軍。11日、同地の哀れなニュージーランド軍を撃破し、3日後に同地を確保。翌15日、ぎ印侵攻軍が再び輸送船に乗船するのと同時に、アイスランドはぎ印ドイツ帝国の属国として再び独立を果たした。もう攻められんなよ。来ないだろうけど。


イタリアの存在意義~1940年5月20日-23日

5月20日、ぎ印ドイツ帝国は極東の日出る国よりやってきた使者からの申し出について検討していた。それは世界を日本、ドイツ、イタリアの三国で山分けしましょうやという、かの名高い「日独伊三国軍事同盟」である。ぎ印ドイツは迷っていた。
日本と組むのは吝かではないが、問題はイタリアである。どうしたものか。
これまでイタリア抜きで防共協定を結び、イタリアからの貿易協定の申し出はことごとく却下し、アルバニアと戦争をはじめればアルバニアを支援し、ユーゴスラヴィアと戦争をはじめればユーゴスラヴィアを支援したわが帝国である。今さら仲良くする根拠もないが、この判断を誤ると後の戦局が何らかの影響を受けることもまた解していた。いったいどちらがよいのか。
イタリアと組むことによるメリットとは何か。アフリカへの足がかりか、中東への近道か。しかしそれについてはこちらも考えはある。ではイタリアと組むことによるデメリットとは。それは同盟の環の弱い部分がもうひとつ増えることにほかならない。スペインの二の舞はごめんだ。仮にイタリアが窮地に陥ったとして、こちらは手勢を割いて支援する侠気は微塵もないが、スペインやハンガリーがそれをやりかねない。それは大変困る。

ぎ印ドイツ帝国の意思が確定した。イタリアとは組まん。締結の運びとなったのは「日ぎ独二国軍事同盟」であった。

別にイタリアをないがしろにしようということではない。君たちは今まで通り唯我独尊で暴れてればよろしい。いずれそれは連合の不興を買って宣戦布告と相成ろうが、それはそちらの戦争であってわれわれの戦争ではない。つまり連合のゴールはただひとつ、ローマである。となると自ずと侵攻ルートも限定されるので、われわれは安心して己が戦いに専念できるというものだ。そういうことだよ。うわっはっはっは。

その3日後、アメリカ合衆国は「対日石油輸出禁止措置」を発動。パールハーバーへの道へと踏み出したのであった。


血迷ったかルーマニア!~1940年6月6日~27日

懸案のポーランド国境の先では6月6日、昨年末よりはじまったソ連とフィンランドの「冬戦争」が終結。ソ連の圧倒的勝利と思いきや、なんと攻めあぐねたソ連がフィンランドに「元の状態への復帰」で和平案を提示、フィンランドが受諾という勝敗付かずの結果であった。やるじゃないかフィンランド。こちらもダメ元で密かに物資の支援をしていたわけだが、それが報われたようだ。
となると、ソ連はすぐリトアニアとラトビア獲りに総力を挙げるだろう。そして案の定、その5日後にソ連はリトアニアに宣戦布告。脆いバルト諸国に勝算はない。リトアニアは2週間もてば上等だろう。
6月22日、リトアニア敗北。早いな。次はラトビア落としか。1週間以内に宣戦布告として、2週間でラトビア崩壊として、問題はその後だ。

わ れ わ れ が 危 な い 。

いよいよソ連との戦争の準備に入らねばならん。バルトを落としたソ連は再びフィンランドと「第2次冬戦争」をはじめようが、同時にこちらにも照準を向けるはず。先手必勝を旨としているわれわれだが、真冬にソ連に挑むのは愚の骨頂。もし戦争がはじまっても冬季は防戦一本で凌ぐしかない。そして来春から大攻勢をかけるのだ。
…などと脳内プランを立案中、事件は起きた。

1940年6月27日0:00 : ソ連はベッサラビアを要求において “ベッサラビアを要求” を選択したとのことです。
1940年6月27日0:00 : ルーマニアはソヴィエト連邦のベッサラビア要求において “拒否” を選択したとのことです。
1940年6月27日0:00 : ルーマニアがソ連に対して宣戦を布告。
1940年6月27日0:00 : モンゴルはソ連の側に立ってルーマニアに宣戦を布告。
1940年6月27日0:00 : タンヌ・トゥヴァはソ連 と モンゴルの側に立ってルーマニアに宣戦を布告。
1940年6月27日0:00 : ソ連で “ベッサラビアを要求 ― ルーマニアは戦うつもりだ!” が発生。


(゚д゚)!!

何考えてんだルーマニア!勝てるわけねえだろ!お前らはわが国の石油の最大の供給源だ。負けたら困るんだよ!戦車や飛行機が止まっちまうんだよ!!
だあああもう!こうなったら宣戦布告だ宣戦布告。ソ連を攻めい!ルーマニアを護るのじゃ!!

6月27日、なし崩しのぎ独ソ戦が勃発した。

つづく。
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