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【ひとりぶらりこ企画】 帝国時代の残光を辿る~横須賀・猿島編(その1) 

※一部写真はクリックで拡大可(640*480)

【本日天気晴朗なれども波高し】

十六条旭日旗

神奈川県は横須賀市。

カレーと海軍で有名なこの港街の、横須賀湾に面した一角にその公園はある。
東郷像2銅像のモデルとなっているのは、明治37(1904)年からの日露戦争において、旅順港閉塞作戦や黄海海戦、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー提督率いるバルチック艦隊を滅ぼした日本海海戦などを指揮した海戦の雄、東郷平八郎元帥その人である。そして像の背後に鎮座ましますは、東郷元帥(当時中将)が座乗した連合艦隊の旗艦、三笠(みかさ)。この公園が三笠記念公園と呼ばれる所以はここにある。

名将の指揮の下、数多のロシア艦を轟沈せしめた戦艦三笠は、大正12(1923)年のワシントン軍縮条約により現役を退くこととなる。三笠には解体の運命が待ち受けていたのだが、それを惜しむ国民の声により、現役復帰できない状態にすることを条件に保存が許される。かくして戦艦三笠は、「記念艦」として第二の人生を歩むことになったのである。
横須賀は白浜海岸で静かな余生を送っていた記念艦三笠であったが、第二次大戦以降は復讐に燃えるロシア人めの主張でスクラップ&スクラップされそうになったり、定見のない占領軍兵士どもによって「Cabaret Togo」という不遜の酒場兼ダンスホールにされたり、甲板やら扉やらは剥がされどこぞに売り飛ばされたりと、長らくの間不遇の時を過ごすことになる。
三笠しかし昭和30(1955)年を過ぎた頃から、この名鑑の惨状を憂いた三笠建造の地、バーロー・イン・ファーネス出身のイギリス人の嘆きや、戦艦ミズーリ艦上にて、日本降伏受託書に署名したひとりであるアメリカ海軍チェスター・ニミッツ提督の苦言などを契機とし、国民の間でも保存運動が急速に高まることになる。
保存運動のきっかけが元敵国人の提唱ってのはどうなのよは別として、三笠は寄付金と保存会関係者らの尽力によりお色直しと改装が施され、昭和36(1961)年、再び記念艦として甦ることになったのである。
現在、三笠の中上部は往時を髣髴とさせる姿となっているが、下半分は陸地と一体化し、さながら巨大なオブジェといった様相である。内部はある程度当時の形を残しているが、日露戦争の博物館(主に海戦関係)として機能するよう改装されており、いくばかのお布施をすれば誰でも見学可能となっている。甲板その他も、マストによじ登ろうなどと馬鹿なことさえ考えなければ大方歩行見学が可能である。前艦橋には東郷司令官、秋山真之参謀をはじめとする指揮官たちの立ち位置が記されていたりと往時の状況を偲ぶこともでき、興味ある人にはそれなりな充実感を得られることができよう。

が、私がここに来た目的は三笠見学ではない。


【Perry Island】

三笠の脇にある船の発着場。1時間おきの定期便。片道600円の切符をポッケに、ゆらり揺られて10分余。
横須賀湾沖1.6㎞に位置する小島、そこを訪れるために私はこの横須賀の地にやって来たのである。
私が目指した小島、そこは獄門島という…

猿島

…のは嘘である。そこは猿島、別名ペリー・アイランドと呼ばれる無人島である。
猿島なれどモンキー・アイランドにあらず。無断で浦賀に乗り込んだ黒船のおっさんの名を冠した通り名を持つこの島で、私はいったい何を見ることになるのだろうか。

つづく。

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インフラを整備してくれ。まずはネットだな!

いっそのことそこに住んでしまえ

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